benitaの初パリ旅行
パリは判ってくれない? 

   旅立ち
  1日目 モンパルナスタワー
  2日目 ポンヌフ
  3日目 パティシエ
  4日目 旅のルール
  5日目 王は踊る
  6日目 7番目の芸術
  7日目 エロス
  8日目 息切れ
  9日目 アルジェの戦い
   さよならパリ

旅立ち


 そもそも旅行は計画的じゃなかった。会社から「リフレッシュ休暇を3月中にとるように」と言われ、見たばかりの「アメリ」の影響でフランスはパリへ。春休み期間中のため思うような旅券がなかなか取れず、しかも1週間の予定が10日間に。

札幌〜香港(飛行機はキャセイパシフィック)
機内上映は「陽だまりのグラウンド」は日本語吹き替え版。それ以外は英語の中国語字幕。
The royal Tenenbaums, Tortilla Soup, The Heist, Life as a house, Ocean's 11(オリジナル),Shallow Hall, K-pax(光の旅) のうちShallow Hall(愛しのローズマリー)を見る。ジャック・ブラックはかわいい〜。でも、「外見が悪い」=「障害者」という描写があり、心にひっかかった。日本語で見ると印象が変わるかも。その後The royal Tenenbaums を見ようとしたが、セリフが多いし、早いのであきらめる。とっても面白そうだったので日本公開時は絶対に観ようと思う。
 離陸から5時間ちょっと22時香港着。パリ行きにトランジットする為、新しい空港内を約20分歩く。免税店を横目に見ながら歩くと、マチューがキャラクターを努めるミラクル・オムのポスターがずら〜っと柱に貼ってあるマチュー・カソヴィッツ通りが…。

 香港〜パリ
深夜23時55分発。機内上映映画は、札幌〜香港とほとんど同じ。違うのは日本語吹き替え映画が無いのと、「エネミーライン」が上映リストにあったこと。好戦的なアメリカ映画は好きじゃないので公開されても見ないつもりだったけど、タダならね〜。
amandaさんの大好きなウラジミールはとってもすてきだったし、映画もそれほどアメリカ万歳!じゃ無かったような気がした。
帰りもこの調子だとどうしようと言うくらい飛行機が揺れる。シートベルト着用のサインはフライト中ほとんど消えなかった。そして1つ空席を挟んで座っているオジサン、映画の中国語字幕を大きな声を出して読む。ほとんど眠られず、12時間30分後、朝6時45分パリ着。


第一日目 モンパルナスタワー

 空港からエールフランスのモンパルナス行きバスに乗る。オーステルリッツ駅経由約1時間50分でモンパルナスタワー近くに到着。ネットで5泊分予約した★ホテルHotel Saint Placide はモンパルナスとサンジェルマンデュプレの中間地点。左岸唯一のデパート ボン・マルシェが目の前。バスを降りてタクシーを拾おうか、地下鉄かと地図を見ながらホテル方向へ歩いていたらホテルの目の前、着いてしまった。朝の9時前なのでどうかと思ったが、とっても狭いホテルの扉を開けレセプションのある2階(フランスでは1階)へ。
Bonjour と挨拶し予約確認のFaxを見せると、パスポートも見ずにルーム551のキーを渡してくれ上へと指をあげる。大きなトランクを担いで幅1m位の狭い螺旋階段を昇り6階へ。
 部屋の広さはまあまあ屋根裏部屋っぽい雰囲気。ベッドは清潔そう、シャワールームも…ここで重要なことに気がつく。部屋の中にトイレが無い。じゃあ6階に上がる途中踊り場のトイレを使うの????でも冷蔵庫はあると開けてみたら中には大きな氷が。これで中に入れるものを冷やすらしい。
 荷物を解くのを止めてフロントへ。「
Fax内容と部屋が違う。私はトイレが部屋の中にある部屋に泊まりたい。551に泊まりたくない」と言うと「今日は551しか空いていない。本当は331を使ってもらおうと思ったけど彼は出発しなくて。明日は331が開くから今日は551に泊まって」と言うので仕方なく「明日必ずね」と念を押して部屋に戻る。

 行動開始。まずはモンパルナスタワーに昇ろうと歩き始める。モンパルナスからホテルまで歩いた時は、大きなトランクに地図を見ながらだったので気がつかなかったけど、周りを見渡しながら歩くと5分でパリが好きになった。今まで海外旅行して来た国(ほとんどヨーロッパ)ではどこへ行っても「あ、日本人」的な眼差しを向けられたが、パリは違う。視線がない。誰も私を見ないし気にしてない。外国の街を歩いていてこんなに楽なことは無い。
 モンパルナスタワーでパリビジット3日券を買い、エレベーターで56階の展望台まで。切符切りのオジサンが
madamと挨拶してくれる。チケットを見せると「オートマチックだから」と言うので待っていたら扉が閉まり昇り始める。凄くガタガタ揺れるエレベーターにビックリ。モンパルナスタワーから眺めるパリの街は薄い色。広場から街並みが放射線状に広がっている。行きたいと思っていた場所の方向を確認。エッフェル塔は思っていたよりシックな色で綺麗。

 地下鉄に乗ってマドレーヌ教会の前から迷いながらヴァンドーム広場近くのJCBプラザへ。モンサンミッシェルツアーを予約。
 ヴァンドーム広場は映画(「ヴァンドーム広場」「クレーブの奥方」)で見たとおり、四角い広場を囲むようにして高級宝石店が並んでいる。その中に「ANSHINDO」も。高級感ありませんね〜。シャネルの入り口両側には白椿(カメリア)の木が飾ってあり、写真を撮りたかったけど止めた。
 
 そのまま歩いてルーブル美術館へ。ガラスのピラミッドからセキュリティーの列を過ぎてエスカレーターで地下へ。カルトミュゼ3日を買う。日本語パンフレットもあるけど、陳列の配置が全然把握できない。絵画中心に見たいので、彫刻や装飾品等をすっ飛ばして絵画のみを鑑賞。
好きなボッティチェッルリの絵に会う。カラヴァッジヨは3枚。後年の上部が空いている絵にも会う。モナリザの前は凄い人。パンフには「フラッシュ禁止」とあるけど皆平気でフラッシュをたき、係員も注意をしない。「ラテンだな〜」と思う。
 2時間位見て、今日は休館の
モード&テキスタイル美術館 Musee des Arts de la Mode et du Textileの場所をチェック。モード&テキスタイル美術館は、今回の絶対見たい2のひとつ。18世紀から現代にかけてのお洋服や靴、アクセサリーの変遷を直に見られるところ。楽しみだ〜。
 
 ボン・マルシェで食べものや水を買う。氷箱でビールを冷やし、黒オリーブ入りのヌードルサラダを食べる。おいしぃ〜。テレビを見ようとしたが、リモコンが部屋に無い。どうなっているんだろう?フロントへ行くのも面倒なのであきらめる。数時間死んだように寝るが、真夜中1時ころ目が覚める。時差ぼけらしい…。ホテル内はとても静か。その後眠れず、窓から朝焼けのモンパルナスタワーを見る。モンパルナスタワーを風情が無いという声が多いらしいが、タワーの形がシンプルで周りの景色を引き立たせる役割をしているような気がして私は好き。


第二日目 ポンヌフ

 行動開始とシャワールームの電気を点けたら電球が割れていることに気がつく。「薄暗いとこで浴びるの〜」と思ってシャワーの蛇口を捻ると、勢い良くお湯が出る。でも、お湯の出方がヘン。なんとシャワーヘッドはあるが穴部分がすっぽりと無い。丸くなっていてヘッドがあるだけ。これじゃあホースから直浴びと同じ。暗い気持ちになる。
 トランクを担いで下のレセプションへ。「
Bonjour.551だけど今日部屋を変えてくれるのよね。」と再確認。「もちろん。荷物はここで預かるから、もし早く部屋が見たいときは3時くらいに戻って来て」とのこと。よかった。あのホースシャワーは嫌。
 
 地下鉄でモード&テキスタイル美術館へ。「開館は11時です。」とレセプションに言われたのでポンヌフを眺めにセーヌ川まで歩く。セーヌ川沿いのベンチで昨日買った野菜のキッシュとオレンジジュースで朝食。セーヌ川の色は翡翠のよう。海は近くないと思うけど潮の香りもする。ぽわ〜んと座っていると遊覧船が通り子供たちが
Bonjour と手を振るので私も答える。
 セーヌ川沿いを歩き、ポンデザール(芸術橋)のベンチでゆっくりとフランス学士院、ポンヌフ、シテ島を眺める。モード&テキスタイル美術館へ帰る途中、カルーゼル橋の袂にホームレスが。「ポンヌフの恋人」のトニ・ラバンを思い出す。
 
 モード&テキスタイル美術館へ行くと何かが違う。展示物にお洋服が無い。中世からルネッサンスまでの家具やアール・デコ調度などが中心。おかしいなあと思ったら私がモード&テキスタイル美術館と思っていたところは装飾芸術博物館
Musee des Arts Decoratifsだった。夜会服をローブ・デコルテと言うから、かってにこっちが洋服のある方だと思っていた。私ってバカバカ。開館時間といい詰めが甘い。それでモード&テキスタイル美術館のことをレセプションに聞くと6月まで休館とのこと。ガックリ。気を取り直して隣接のミュージアムショップへ。Artって感じのものがいっぱい。友人に出す絵葉書を数枚買う。
 
 サンドイッチを買って水鳥と噴水を見ながらチュルリー公園でランチ。椅子の角度がリクライニングで座りいいんだけど足が短いので地面とギリギリ。哀しいな〜。お天気も良く空を見ているとオヤジに話し掛けられる。フランス語。多分こう言っていた。「日本人だろう。日本は良く知っている。知り合いもいるんだ。」ここで名刺を見せてくれる。手の甲にヘンな刺青。名刺は確かに日本人名。大企業だった。「シャンゼリゼは行ったか?案内しよう。アッチだ。行こう。」指をさす。私は英語で「フランス語分らない。
No.」と言い続けたがひつこい。私が立ち上がるとこっちだと言う感じで顎をしゃくる。くるりとオヤジに背を向け、早足でオルセー美術館へ。
 
 カルトミュゼのおかげで10メートルくらいの行列を並ばずに中へ。案内図で確認し絵画中心に見て周る。マネの「オランピア」は挑戦的な眼差しを見るものに向け、オルセー美術館の女王のように君臨していた。楽しみにしていたゴッホの「アルルの寝室」は、ヴィヴィッドな色と絵の具の立体感が今までいろいろな印刷物、絵葉書や美術書などで見たものとは全然違う。見とれてしまった。やはりここでも皆パチパチとフラッシュ付きで絵画を写真に撮っている。そして係員は注意しない。「アルルの寝室」が色褪せないか心配になった。ドガのパステル画やガラを見て、白熊くんに会ったら、疲れてしまったのでいったんホテルへ戻る。
 
 レセプションは人が変わっていた。それで部屋を変えてもらうことを言うと「聞いてない」とのこと。預かってもらっていたスーツケースから、予約確認の
fax用紙を出し、「faxと部屋が違うので、551には泊まらない」と言うと「予定していた331の人が出発しないので部屋は無い」私が「もうここには泊まらない」と返事をすると「2日分の料金を払ってもらう」え〜!!!再度fax用紙を見せ「約束が違うので払わないし、泊まらない」と言うと、仕方ないと言う感じで「ツインの部屋が空いているから今日だけ泊まりなさい。シングル料金でいい」と221の鍵を渡してくれた。そして「明日になったら、331へ移ってもらう」と…。ふん。
 部屋に入ると、これは多分ホテルのホームページと同じ部屋。でも、シャワールームにシャワーカーテンが無い。シャワールームの前は、通りを隔てて向かいのアパートの窓が。試しに中に立ってみたが、座っても前のアパートから丸見えだと思う。気にしないんだな〜。
 
 気を取り直して観光再開。シテ島のサントシャペルへ。小雨が降ってきて天気が悪いのでステンドグラスが全然映えない。せっかく日本語の解説文があったのに残念。晴れた日に出直そうと思った。歩いてノートルダム寺院へ。パリはどこへ行っても人がいっぱいだけど、ここで初めて物乞いを見た。ノートルダム寺院はゴシック建築とのこと。雨どいの水捌けが動物でとっても可愛い。内部はピエタを中心にお祈り専用の椅子や
confession room(懺悔室)があり、とても荘厳。そのせいか写真をとっている人は見かけなかった。それともダメなのかな。塔に昇れるようだったが、ガイドブックに「急な階段」とあったし高所恐怖症のため断念。

 ポンヌフを渡ってサンジェルマンデュプレへ歩く。小雨の中を歩いてもパリは楽しい。ポンヌフは橋の途中にベンチがあって座れるようになっている。私は晴れていても、この排気ガスの中では座りたくないと思った。ガイドブックに載っているサンジェルマンデュプレのお店を数件確認しながらホテル方向へ。有名なビストロ
L'Epi Dupinは時間が早かったこともあるが、誰もいなくて入りにくそうだった。入りたかったけど止めてその近くのチャイニーズのお店で焼きそばと生春巻きをテイクアウトする。
 
 ホテルに着きレセプションにもう一度明日の部屋変更を確認。ついでにテレビの事を聞くと「見るの?」って感じでリモコンを渡してくれた。ペイテレビの関係で部屋番号を入力してから貸してくれるらしい。「ここ触るとペイテレビ」と教えてくれた。日本人らしい女性が階段を上がって来て、レセプションに
Bonjourと言って英語で話し始めた。用件が終わったころ「日本人ですか?」と聞くと彼女はにっこりと微笑んで「モンゴル人です。」と英語で返事が返ってきた。お互い何日くらいの滞在か話した後、「明日シティツアーに行くんだけど、一緒に行かない?」と聞かれた。私は仲良くなりたいと思ったが「スケジュールをもう立ててしまったので」と断る。彼女は「また会いましょう」と言って階段を下りて行った。私は2階へ。パリで初テレビを見ながら、オイスターソースのきつい焼きそばを食べる。食欲なし。残す。グッタリと寝るがやはり夜中の1時に目を覚ます。


第三日目 パティシエ

 シャワーカーテンが無いので、薄暗いうちにシャワーを浴びようと朝早く起きる。それでも向かいのアパートから見えるような気がしたが、浴びているうちに窓が曇ってきて安心。ま、見せてもいいんですけどね〜。昨夜買った生春巻きを食べた後、頭痛がするので風邪薬を
contrexで飲む。レセプションに再々度部屋変更の確認をする。彼は「確約はできないが、331の人は今日出発すると思う。もしダメなら同じレートのホテルを紹介する」と言ってくれた。そしてNo,problem を連発。

 地下鉄でジャックマール・アンドレ美術館へ。地下鉄を降り「方向音痴の私も地図を見られるようになったし…」なんて自惚れていると迷ってしまった。通りの名前ですね。私は「オスマン大通り」を目指して歩いてたんですが、歩いても歩いても無い。パリの街は角にある建物に必ず通り名のプレートが張ってあるので目印にしてたんだけど…。と、ガイドブックを見て目の前にある「
Bd.Haussman」のHaussmanをオスマンと読むことに気がつく。ハウスマン通りかと思っていた。あ〜〜〜。ここはフランスよね〜。

 ジャックマール・アンドレ美術館
Musee Jacquemart-Andre は19世紀の富豪銀行家夫妻の邸宅を室内装飾、彼らの美術コレクションとともにそのまま美術館として公開しているところ。カルトミュゼは使えなかったけど、館内説明のオーディオテープ貸し出し(日本語!)は無料。も〜ここは入ったときから、他の美術館とは違う、超お上品。開館を美術館前のベンチで待って、開館と同時に入ったので始めのうちひとりで絵画や装飾品と対面できた。ブルジョワ生活見たさに予備知識無しに入ったけど、その生活は想像以上。ボッテチェルリやベリーニの絵が個人所蔵だなんて素晴らしい贅沢。誰もいない部屋でその絵画達とふたりきりになれた私も贅沢な時を過ごす。オーディオガイドとともに見学したら2時間近くかかってしまった。それでも館内にある有名なカフェ・ジャックマール・アンドレのランチ時間にはまだあるので、中庭とミュージアムショップで時間をつぶす。英語のガイドブックを買って、カフェへ。
 
 画家の名前を付けたサラダコースにしようか、今日の料理
Plats du jourか迷って、パテイシェ付きなので今日の料理に。大きな白いお皿にいろいろな野菜とモッツアレラチーズのキッシュが乗っているサラダはボリューム満点で美味しく幸せ気分。お店の天井画も見事で名画に見られてパリ初のまともな食事。サラダを食べ終えたころギャルソンが入り口付近にあるケーキのいっぱい並んでいるガラスケースを指差し、選んでくださいみたいなことを言う。平たくって大きいケーキ。フランポワーズのカスタードタルトにする。甘さほどほど。これもとっても美味しい。あ〜〜贅沢だ〜。
 
 身も心も幸せ気分のまま地下鉄でギメ美術館とガリエラ博物館へ。
ギメ美術館Musee national des Arts asiatiques-Guimet は、パリにある東洋美術を集めたところ。カルトミュゼを使い入館。日本語のオーディオガイドは有料。面白かったのはマリー・アントワネットの嫁入り道具という扇形と四角の硯箱ふたつ。元々はマリア・テレジアのものだったとのこと。筆と硯と墨。マリーはこれを眺めただけだったのかしらん。興味のあるものだけ見た後、臨時の「アフガニスタン展」を有料で見る。展示品が少なく詰まんなかった。ただ、アフガニスタンから出土した仏像の顔は私たちが良く見る東洋顔じゃなくギリシャ彫刻のような鼻を持っていてそれが不思議だった。仏様じゃないみたい。ここでは日本人にはひとりも会わなかった。
 
 歩いてガリエラ博物館
Le musee Gallieraへ。ガイドブックにはカルトミュゼが使えるとあったけど、常設展ではなかったらしく有料。英語のオーディガイドはタダ。デザイナーMadame Carven 1945-1987コレクションを見る。古臭く感じるものより今でも着られそうなデザインの服がいっぱい。マネキンが着ているからか、ウエストが細い。その点では着られないかも。
 
 パレ・ド・トキオ、シャイヨ―宮を横目にイエナ橋を渡りエッフェル塔へ。エッフェル塔は高所恐怖症の為、昇る気は無いので眺めるのみ。パリは建物の高さ制限をしているから、わりとどこへ行ってもエッフェル塔を見ることができる。眺めるだけだったら遠くからの方がいいかも。エッフェル塔付近で旅行中初めてのスリ注意報を自分に出す。人がいっぱいなだけじゃなく危険な感じがした。パリビジットを使い
RERでシテ島まで。今回の絶対見たい2の2つ目、コンシェルジュリーへ。
 
 コンシェルジュリーは王妃マリー・アントワネットの独房が再現されているところ。お城のようなとんがり屋根が監獄という感じを消している。入り口から入ろうとすると制服を着た人に止められる。フランス語で話し、
NO.としか言わない。フランス語の掲示が張ってあったが読めないので、同じく入ろうとしていた人に聞くと、6月まで休館とのこと。あ〜〜〜。2大見たいもんがぱ〜。後はヴェルサイユでRoi に会うか…。とぼとぼと地下鉄でホテルに帰る。
 
 ホテルに帰ると「やはり部屋は無い、551に泊まって」とのこと。「トイレ付きの部屋じゃなきゃチェックアウトする」と言うと、
I'm sorry.と次のホテルを電話で予約してくれた。フランス人謝らないと聞いたけど違ったみたい。ホテルの名前と住所、行き方を紙に書いて説明してくれた。料金を精算しYou are very kind. au revoir. と言ってホテルを後にする。タクシー乗り場までスーツケースを引きずり歩いていると「ダメージ」でジェレミー・アイアンズとジュリエット・ビノシュが逢引したHotel Lutetiaが。制服を着たドアマンが立っていて高級そうなところだった。そこを過ぎたタクシー乗り場でタクシーに乗る。
 パリ初のタクシーに緊張。元々私は外国旅行ではあまりタクシーを使わない。と、言うかどこへ連れて行かれるか不安でできれば乗りたくないと思う。運転手さんにホテル名と住所を書いた紙を見せると、ここで初めてouiと言ってタクシーのドアを開けてくれた。トランクにスーツケースを入れてくれたところを確認してからタクシーの中へ。「何分くらいかかるの?」と聞くと、「20分くらい」。ちょうどそれくらいで、マレ地区にある外装のかわいいプチホテル★★
Jeanne d'Arc に到着。運転手さんに「パリは初めてなんだけどチップはどれくらい渡せばいいの?」とストレートに聞くと「10%かな」とのこと。ガイドブックには3%とあったけどスーツケース料金を請求されなかったので、言われたとおり払う。
 
 ホテルジャンヌ・ダルクはもともと泊まりたかったけど予約確認の返事がこなかったところ。「運命かしらん」と思ってしまった。こぢんまりとしたレセプション、白髪のオジイサンに「
Hotel Saint Placide から予約の電話をした…」と言うとオ〜と予約フォームを渡してくれた。彼は、私の名前を見て「Madam  H」とニッコリ。私の名前はH で始まるがフランスではH 付の発音をしてもらったことがなかった。何となく嬉しくて私もニッコリ。「3泊」と言うと、「聞いてない。空いているのは今晩だけ」との返事。えええ〜〜〜。血の気が引いた気分。もう8時近いのに。5泊予約したHotel Saint Placide、2泊しかし無かったのだからあと3泊できるところを紹介してくれたかと思ったら…。本当に私って詰めが甘い。
 「私は明日早朝モンサンミッシェルツアーに行って、帰ってくるのは夜の9時過ぎになる。だから今夜だけでは困る」と言うと優しいオジイサンは何件かのホテルに電話してくれた。でも、連泊できるところは見つからなかった。彼は「今夜はここへ泊まりなさい」と言う。私はもう一度「明日の夜遅く帰ってきて泊まるところがなかったら困るんです。」と言うと「うん。明日も無いかも。でも今は明日泊まれるところは無い。だから今日はここへ泊まって明日の事は明日、今考えてもしかたがない。明日は泊まるところがあるかもしれないし、ないかもしれない。その時になってみなければ分らない。もしなかったら、この部屋の長椅子に寝ても良いよ。」
 さすが、ラテン、ポジティブシンキング。「明日は夜まで荷物はキー付きのところに預かってあげる。それより顔色が悪いから何か食べなさい。食べると幸せになれるよ」 とっても不安だったが、どうしようもないので泊まることに。1泊分をカードで前払いして、部屋のキーを渡してもらう。オジイサンはエレベーターまで送ってくれた。「眠れるかい?」とも聞いてくれた。眠れるわけがない。首を振る。部屋は前のホテルよりかなり狭い。でも、カーペットやベッドカバー、カーテンが同系色で統一されセンスが良かった。テレビのリモコンも部屋の中に。オジイサンに言われたとおり何か食べようとホテルを出る。
 夜のマレ地区。若者の街とガイドブックにあったけど、確かにモンパルナスと比べるとそんな感じ。小売店が多くチーズ屋さんやワインショップ、おしゃれで小さなブティックやブラッスリーがいっぱい。スーパーの
monoplix もあった。行列ができていたパン屋さんに並んでパニーニを買い部屋で食べる。温めてくれたので温かかったしとてもおいしかった。努めて何も考えないようにしベッドに入る。


第四日目 旅のルール

 硬いベッドと不安でほとんど眠られず、昨日と同じセプションのオジイサンに挨拶をしてスーツケースを預かってもらい7時半発のモンサンミッシェルツアーへ。モンサンミッシェルだけで4台のバス。しかも全部日本人。凄いな〜。朝食におにぎりとエビアンが出たが、食欲不振でバックの中へしまう。
 ほとんどの人がペアで参加しているようだった。途中ドライブインでの休憩を挟んで行きの4時間強、ガイドさんがノルマンディー地方の歴史を説明してくれている時間以外はぐっすりと寝る。あいにくの小雨、気持ちが沈んでいる為か靄の中に巨大なモンサンミッシェルがぽつんと姿を現して、それが徐々に近づいて大きくなってきても感激できなかった。昔テレビで初めて見たとき以来絶対いつか実物を見るんだと憧れ続けていたところなのに…。目前にしたモンサンミッシェルは本当に大きい。見上げると自然に口が開いてしまう。
 
 到着してすぐレストランで昼食。サラダ、魚介のパイシチュー、ステーキ、チョコレートケーキというコース。飲み物は別注文。名物のシードルを注文する。日本で飲むのとはコクが違う。発泡も細かい。向かいに座った女性が「これ、強いわね」私は「私には強くは無いんですが、この料理には合わなかったかも」 50歳台半ば(?)Fさんはロンドン在住でご主人の出張についてパリに来たとのこと。私と同じくひとりでツアーに参加。「主人は今頃仕事、私は遊び」と言っていた。それ以降ガイドツアー中行動をともにし、写真も撮ってもらった。

 ツアーが終わって帰路に着くまでの自由時間に彼女が名物のオムレツを食べたいと言うので同行。ガイドブックに載っているお店へ行きギャルソンに「どれくらいかかりますか」と聞くと「作るのに30分かかる」とのこと。食べる時間を含めると集合時間に間に合わないので止めて、近くのカフェへ。
 
 混んでいる店内に日本人女性が居たので相席させていただいた。挨拶をしてお話を聞くとバスは違うけど同じツアーだったことがわかった。60歳前半くらいの I さんは親戚の娘さんと一緒にパリに来たのだそう。海外旅行暦はもうウン十年のエキスパート。「いろんなホテルに泊まったけど、今回のホテルはダメだったわ」と言うので「どちらにお泊りですか?実は私今夜のホテルがないんです」と昨夜のことを話すと2人とも驚いた様子。
 Fさんは「何か元気のない人ねと思っていたら、そうだったの」と。I さんは「電話でパリの友達に聞いてあげる。彼女、ツアーコンダクターなの。変なとこだけど同じホテルで良いかしら」と電話をかけに行ってくれた。
 暫くして帰ってきた彼女に「ホテル取れたわよ」と言われた時はホッして「ありがとうございます!」と大きな声を出してしまった。Iさんは「個人旅行はこういう時困るのよ。旅行代理店経由でホテル取っていると、何かあった時クレームつけてくれるし保証もしてくれる。今度からは考えた方が良いわよ」と温かいお言葉。感激。ホテルの名前と住所を教えていただき、「パリに着いたらすぐ荷物を取りに行きなさい。ロビーで待っていてあげる」と言ってくれた。親切。感涙。
 
 帰りのバスの中、F さんから色々なお話を聞く。彼女のご主人は結婚以来海外勤務で彼女やお子さん達はそれに伴いニューヨークやロンドンに移り住んだこと。お休みには居住地から遠近の国々へ旅行したこと。ニューヨークでした雪かき。ドイツで行ったバイキング料理のレストラン。初めてイスラム圏へ行ったときのこと。来週はご主人がマドリッドへ出張なので着いて行こうか迷っていること。いつもはゴルフばっかりしている。パリのお土産にお勧めのもの。最近のロンドン事情。博学で口当たりが柔らかくとても楽しい人だったが、気になったのが「主人が〜」というコトバが必ず話の始めに付くこと。 
 彼女のお話を聞いているうち、3年前京都で知り合って、今もメル友のGさんが言っていたことを思い出す。
 Gさんは20代の既婚女性。メキシコに新婚旅行へ行った時、メキシコ人ツアーガイドが自分の夫を「ご主人様」と呼ぶので嫌になり忠告したのだそう。「主人と言うコトバは使わない方が良いですよ。夫には妻。旦那さんは奥さん。でも主人に呼応するのは召使い。嫌がる人も居ると思うので気をつけたらどうでしょうか」と。私はその話を聞くまで「主人」と言うコトバについて何とも思っていなかったけど、気にする人もいるんだな〜と。そしてそれを聞いて以来「主人」と言うコトバには敏感になって、使う人を考えてみたら「主人」を使うのは30歳代より上だと言うことが分った。ま、分ったからってどうってことは無いけど。

 8時30分パリ着。ダッシュしてホテルジャンヌ・ダルクまでスーツケースを取りに。レセプションにオジイサンは居なく、その人に「彼によろしく」と言うと
No. 英語は分らないらしい。
 I さんが紹介してくれた★★
Hotel Ibis はマレ地区からタクシーで15分位北駅と東駅の間、パリだけでなく世界的に展開しているチェーンホテルで団体客が泊まりそうなところ。
 ロビーに入ると彼女が居た。心配して待っていてくれたのだ。レセプションで2泊分の清算を済ませ、カードキーを受け取る。レセプションの黒人女性は凄く早口英語で発音が曖昧。多分フランス語の速さで英語を話すのだろう。それに大変無礼な感じ。 
 I さんが「友人も心配していると思うから電話しなきゃ」と言ってレセプションに電話番号を見せ「ここに電話して」と頼むと通りの向こうにある電話ボックスからかけろと言う。彼女が「私、電話してくる」と外に出ようとするので「私もお供します」と言うと「ありがとう。大丈夫だと思うけど嬉しいわ。スーツケース置かせてもらったら」と言うのでレセプションに頼むと
No.と言う返事。清算も済ませ客だと言うのに何て態度。
 
 お部屋は偶然にも同じ階。「おやすみなさい」をして部屋へ入る。部屋もバスルームも広くて綺麗。バスタブ付き。でも、ヘアードライヤーがない。ホテルインフォがあったので読むと、サービスの中にアイロン、荷物の一時預かり!、郵便物の投函、両替とヘアードライヤーとあるので早速借りに行く。先ほどの応対の悪いレセプションが、
I don't have hair dryer.と言う。あんたじゃなくってさ〜と持っていったホテルインフォを見せ、サービスのところを指差し、もう一度貸してというと、No. tomorrow! しか言わない。何なんだろう。態度が悪い。

 部屋に帰ってテレビを付けるとナタリー・バイとブノワ・マジメル!ぎゃ〜これは私がDVDを買って帰ろうと思っていたSelon Matthieu (マチューの受難)じゃないの。怒りがグッと収まる。途中からだったけど、じ〜〜っと見入る。黒髪のブノワ、ロバート・デ・ニーロそっくり。映画が終わってナタリー・バイのインタビューを挟んでまたナタリー・バイ映画。こちらはなんと言う映画か分らなかった。インタビューを受けているナタリーはとっても綺麗。「エステサロン・ビーナスビューティー」の疲れた彼女とは大違い。
「ブノワの夢を見ないかしらん」と思って寝る。


第五日目 王は踊る

 朝食をとるために1階へ。食堂入り口の女性にルームb告げ、席へ。ハム、チーズ、ゆで卵、パン・ジャム数種、ヨーグルト、ココア、コーヒー等のバイキング。これで1泊75ユーロはお徳かもと思う。
 食事の後レセプションにヘアドライヤーを借りによる。3人居たが2人の白人は知らん顔。そのうちアジア系男性のレセプションが
Bonjour と言ってきたのでヘアドライヤーを借りたいと言うとNo. と言う。何故か聞くとドライヤーがカスタマー分無いのだとのこと。それならいつ借りられるのと聞くと「分らない」あのね〜。昨日のレセプションといい、I'm sorry for you. とか言葉の頭に付けられないわけ!「ここに書いてあるサービスって何?ホテルインフォを書き換えたら」と言ってしまう。それでも何も言わない。
 う〜、いかんいかん。最初に個人旅行を教えてくれたK氏に、「
complain を言うのは compliment が言えてから」と言われていたのだった。でも、それは不満が解消したときの事、この場合はイイよねっ。部屋に戻りIさんに「おはようございます」の電話をし、ヴェルサイユに向かう為にホテルを出る。
 地下鉄までの街並み、ものすごく殺風景。「地下鉄はあちらの方向か」と信号待ちの間地図を見ていると、道路清掃のオジサンが「
Madam,どこへ行くんだ」(多分、フランス語)と話し掛けてきた。北駅、Gare du Nord と言うと「アッチだ」と教えてくれた。Merci. ガイドブックには、危ないので立ち止まって地図を広げないこと、と書いてあったが方向音痴の私はこれをついついやってしまう。そして必ず誰か彼か道を教えてくれる。フランス人は親切だ〜。
 
ESTP に乗り継いでヴェルサイユ宮殿へ。門からして豪華。さすが「朕は国家なり」太陽王。ブノワ主演「王は踊る」の「ここに宮殿を建てる」と沼地を指差すシーンを思い出す。オーディオテープの説明を聞きながら宮殿内見学。すっごい人、団体客はほとんどが東洋系。鏡の間だけじゃなくどの部屋も豪華。
 
 庭へ出て、遠い遠い遥か彼方のグラン・トリアノンとプチ・トリアノンへ。牧場(?)も見学。ロバ君に会う。他の動物は柵から離れているのに、ロバ君は柵から顔を出していた。とても人懐こく写真を撮られるのは嫌じゃないみたい。でも、頭を撫でられたりするとイヤイヤをしていた。
 プチ・トリアノンはマリー・アントワネットが宮殿の喧騒を逃れて通ったと言われているところ。内装は質素。お部屋の色もパステルグリーンに白い小花模様のレリーフとか、ギンギラギンじゃなくかわいらしい感じ。彼女の肖像画があったので指差して、係員に「彼女のドレスはここにあるの?」と聞くと、「ここは革命があったところだからほとんどのものはその時失われて、もしあるとしたらパリのモード&テキスタイル美術館にあると思う」とのことだった。そっか〜。今回の旅ではマリーのお洋服は見られないのね。
 
 でも、ポンパドール夫人のお洋服は見られるかもと臨時の「ポンパドール夫人展」へ。ここでは日本人は一人も見なかった。期待していたお洋服は無く、彼女の肖像画や絵画コレクション、装身具、小物などが展示されていた。私好みじゃなかっただけかもしれないが、ポンパドール夫人の絵画コレクションってあまりセンスが良くないと思った。それと天使を自分の顔で描いてもらった数点の絵、何かね〜。天使ですか…。飛ぶ鳥を落とす勢いと言うか自信があったのねん。
 
 ESTPでパリへ戻る。行きでもそうだけど帰りもアコーデオン弾き等のミュージシャン達が演奏してくれる。パリについてすぐはこれらミュージシャン達が珍しく嬉しかったけど段々うるさく感じ始めてきた。
 ルーブル美術館へ。オーディオガイドを借りてカラヴァッジヨ等見たい絵だけ見る。その後ナポレオン3世の寝室へ。寝室?私ならこんな部屋には寝られない。壁紙や椅子、家具が真っ赤だもの。「サモトラケのニケ」は階段の踊り場にあった。どうしてここに?もっと落ち着いて眺められるところにあればいいのにと思う。
 
 オルセー美術館へ。オーディオガイドは出払って借りられなかった。「オランピア」やアングルをもう一度見て、「アルルの寝室」のある3階へ行こうとエスカレーターに。
 あまり乗る人がいなくてひっそりとしていたエスカレーター。突然「ヂュ〜ぅ〜」と音が。生牡蠣の貝に直接口をつけて飲み込もうとした時、間違って立ててしまったような下品な音。ヂユ〜。まさか数段上にいる男性カップルから?恐る恐る上を見ると、まさしく彼らから発せられる音。同時にカップルの左側ピアスロン毛男と目が合ってしまった。彼、私のほうを見て唇の片方を上げふっと笑う。さも「君、ひとりなの」とでも言うように…。くやし〜〜〜い。今度は絶対ふたりで来る!ゴッホやゴ―ギャンに慰めてもらい。カフェで休憩。疲れた。
 
 北駅のパン屋
Paul でサンドイッチを買う。愛想のいい店員。顔も良かった。ホテル斜め前の中国人夫婦のやっているお店でビールとブドウを買おうとしたら、ご主人の方が何かゴチャゴチャ言ってくる。何かと思ったら日本語でブドウを何と言うか聞いてくる。BUDOUと書いて教えてあげると、Merci.本当は葡萄と漢字で書けたらカッコ良かったんですけどね〜。
 
 部屋へ戻ってサンドイッチとブドウとビールで夕食。パンは凄くおいしい。挟んであるチーズと生ハムもおいしい。袋を見ると創業1889年だって。さすが。温泉の素を入れてバスに浸かっていると I さんから電話があり 「私の部屋へいらっしゃい。」 お部屋へ伺うとシャネルやギャラリーラファイエットの紙袋がいっぱい。「凄いですね〜」と言うと 「お土産ばっかり」 彼女は私の事をとても心配しているようだった。「とにかく危ないからもう個人旅行はお止めなさい」 私は素直にうなずいたが、心の中では次回も個人旅行だろうな〜と思う。
 個人旅行は計画を立てている時から旅行気分。自分で選んだホテルが当たりだった時の喜びや、見知らぬ土地の地下鉄に乗れたり、地図を便りに目的地にたどり着いたりできた時の達成感は他で得られるかしら。もちろんホテルや行きたかった場所がハズレかもしれないと言う不安はある。でもそれもこれも全部自分で背負う覚悟は出来ている。失敗をしても、ある程度なら思い出にならないかな。
 彼女は「帰国日まで同じホテルなので何かあったらここに電話しなさい。」と言ってくれた。ノートにお名前と住所と電話番号を書いていただく。お風呂のせいかぐっすりと寝る。 


第六日目 7番目の芸術

 朝食をとり、I さんに挨拶をしてからタクシーで2泊予約してあるマレ地区の★★
Hotel 7e Art へ。7e Art とはフランス語で七番目の芸術、映画のことだそう。とっても愛想のいいレセプションに荷物を預かってもらう。
 歩いてピカソ美術館へ。手前にある錠前博物館は休館中だった。マリー・アントワネットの夫、ルイ16世の趣味が錠前作り。結婚当初は彼女より鍵穴に興味があったと何かで読んだので彼の作品を見たかったんだけどな〜。

 ピカソ美術館では時代順に並んでいる絵画や彫刻などの作品たちを見て行った。見学者があまりいなくて静かにゆっくり見ることが出来き、思いもかけず大好きなマチスの絵「オレンジの静物」にも会えた。パリに来て初マチス。ガイドブックによるとふたりはお互いをライバルと認め合っていたらしい。全然知らなかった。
 ここでは珍しくタイトルに英語表示もあって、S
till lifeと書いてあるのが何枚も。「ピカソっておんなじ名前を絵に付けたのかしらん」と思って見ていて「あ、もしかしてStill lifeって静物画?」と察しをつけてミュージアムショップへ行き、日本語のガイドブックを買って確かめた。ヤッパリ、と言うか常識?
 
 「あ〜良かった」 と中庭に出ると日本人らしい女の子がベンチに座っている。「ミュージアムショップは見ましたか?」 と話し掛けると「お金無いんで」とのこと。買った日本語のガイドブックを見せてあげるととても喜んでくれた。 
 彼女Y さんは横浜の大学2年生で絵が大好き。とくにモジリアーニのファンとのこと。お互い今まで行った場所や美術館情報を交換した後、一緒にモンマルトルへ行こうということになる。最寄の地下鉄まで歩き出した途中で
Francois Truffaut の文字!学校だった。そこで記念写真を撮ってもらう。Y さんにトリュフォー監督の事を説明し,「墓地に行きたいんだけど、寄っていい」とお願いする。

 彼女はモンパルナス墓地でスタンダールのお墓を見た。映画「赤と黒」に主演したジェラール・フィリップがお気に入りでモジリアーニを演じた映画でも素敵だった。と言う。映画ファンなのかと思って「アメリ」は見た?と聞いたら「見ていません」 モンマルトルのお目当てはダリ美術館らしかった。でも、よかった。モンマルトルへ一緒に行く人が出来て。
Francois Truffaut のお墓参りが出来る。方向音痴が墓地で迷ったらどうしようと思っていたのだ。
 地下鉄クリシー広場前で降りてモンマルトル墓地へ。Y さんが「フランソワ・トリュフォー監督の映画って何がお勧めですか?」と聞くので「終電車」とか「トリュフォーの思春期」とかが良いですよ。でも「突然炎のごとく」がいちばん好きと言うと「今度見てみますね」とのこと。
 
 墓地に着き、ガイドブックに載っている地図を頼りにお墓を探すが、発見できずもう一度ここら辺りという場所をひとつづつ見て歩く。あった〜。通路よりひとつお墓を置いて奥に黒い石で出来たお墓。供えてあるお花は新しかった。私ったら何も持ってこなかったことに気がつく。ごめんなさいと謝りながら写真を撮るとYさんが「お墓を撮るんですか〜」私は「いいの。私は大ファンだし日本からわざわざ来たんだから」と言ってお墓との2ショットも彼女に撮って貰う。大感激。

 墓地から出てクリシー通りへ。歩いているとな〜んか違う。通り両側のお店が1ブロックほどず〜〜っと赤と黒の同じ配色のお店
sexshopばっかり。「ね、見て見て。」と Y さんに言うと「え?わ〜凄いですねっぇ〜 お店の扉は閉まっているけれど、昼間から営業してるし」 入り口やドアに張ってある写真は局部を黒テープで隠してもそのものずばり。「Peeping room」 「Live show」 の看板の前、「Live show って、生って何?何が生なの。」それにしても私、ど〜してそれ方面の単語はよく知っているんだろう。 Yさんは通りの中でいちばんきわどいと思われるお店の前で記念撮影。私もパチリ。二人で「入りたいね〜」 と言いながら歩く。
 
 Y さんはマクドナルド、私はその隣のお店で買ったアスパラガスのキッシュを公園で食べてランチ。 Y さん曰く 「パリのマック、パンは暖かくって柔らかいしハンバーグもジューシー」 鳩たちに見守られながら食べ終え、モンマルトルの丘へ。
 
 「アメリ」 に出てきたメリーゴーランド発見。でも彼女がかけた電話ボックスは見つけられなかった。土曜日の為か丘全体に人、人ものすご〜〜い人。「アメリ」はきっと人払いをして撮ったに違いない。サクレクール寺院に登る。狭い狭い螺旋階段を登っている途中で猛烈な後悔。高所&閉所恐怖症にはかなりの試練。地上 100m以上。遠くにかすんでエッフェル塔が。

 ダリ美術館へ。ガイドブックは星二つ評価でも私も Y さんもがっかり。展示物が少なくほとんどの作品がコピーで係員の態度も悪い。

 地下鉄でグスタフ・モロー美術館へ。私は全然知らなかったがグスタフ・モローは象徴主義の画家でマチスを見出した人とのこと。彼の作風は幻想的でエロチック。元々彼の住まいだった邸宅は居間中央の螺旋階段が見事。室内は落ち着いた佇まいでゆっくりと絵画鑑賞が出来た。。

 Y さんとは美術館を出たところでお別れ、彼女はショッピングへいくと言う。私は、彼女お勧めのポンピドーセンターにある国立近代美術館へ。
ポンピドーセンターは前衛的な近代建築。鉄骨やパイプ、エスカレーターが剥き出しでも美しい建物。センター前の広場ではパフォーマーが数人注目を集めていた。
 国立近代美術館ではミロやカンディンスキー、マチス、ポロックと会う。それに絵画や彫刻だけでなく近代にふさわしいコラージュ、古着がだ〜〜っと部屋中に飾られている小部屋があって、「あ、これもお芸術なんだ」と芸術に対するキャパシティーの広さを感じた。映像はオノ・ヨーコ、ゴダール等があった。
 
 バゲットとチーズ、ワインを買ってホテルへ。レセプションへ行くとニッコリと微笑んでキーを渡してくれた。トランクはお部屋に運んでくれてあった。
16号室はマルクス兄弟「オペラは踊る」のポスターとジュディ・ガーランドのパネルが壁に飾ってあった。静かな通りに面していて、セキュリティーボックスもある。それと黒を貴重にしたシャワールームのタイルにもアメリカ映画のポスターがはめ込まれてあった。映画好きとしては大満足。
 
 トランクを開けようとバックから鍵の束を出すと、なんか変。足りない。たくさん束ねてある鍵の中からトランクのキーだけが無い!鍵の束から目を離したのはいつだったか記憶をたどっていく。思い出した。朝食の時、パスポートとお財布はバッグに入れて食堂へ降りたが、鍵はトランクの横へ置きっぱなしだった。うかつだった。
Hotel Ibis のルームメイドだ。やられた。
 慌てて階下のレセプションまでトランクを持っていき、キーが無いのでトランクの錠が開けられないことを告げると奥の部屋から大きなペンチを持ってきてくれてパチン、あっけなく錠は壊れた。しょんぼりと部屋へ戻りトランクの中を調べる。何も盗られていない。私が発つのを知らないで後で中のものを盗むつもりだったのか、嫌がらせだったのか、とにかく3流以下、あのホテルには二度と近づかない。ここにセキュリティーボックスがあってよかったと思う。
 買ってきた食糧をテーブルに広げTVを見ながら夕食。ぐったりと寝る。


第七日目 エロス

 朝から小雨。パンとチーズ、水と飲み残しのワインをちょいとひっかけクリニャンクールの蚤の市へ。日曜日でお店が開いてないこともあるのか雨だというのに凄い人。スリに会わない方が不思議なくらい。そして考えていたより広範囲にお店がいっぱいあってビックリ。露店もあるが屋根付きのところもあった。駐車場には観光バスが何台も乗り付けられていた。2時間くらい洋服を中心に見たけど心惹かれるものは無く地下鉄へ。
 
 1日チケットがあったので券売り場で並ばず改札を通ろうとしたら後ろから男に押されてしまった。パリの地下鉄は一人一人通ることになっているのでくっつかれると、機械が察知して通してくれない。何回か通ろうとするがその度にその男が 
push, push と言いながら押してくる。むかついて後ろを振り向き 「何!」 と日本語で大声を。顔を見るとヴァンサン・カッセル似。しゅ〜〜っと逃げていった。ふん。

 パレ・ロワイヤル近くにあるギャルリー・ヴィヴィエンヌへ。
18世紀から19世紀初頭にかけて作られたアーケード街。お店はカフェ以外お休み。静かに見ることが出来た。そこにあるア・プリオリ・テでランチを食べようとしたらランチは2時からだとのこと。え?その時12時30分、お店にいたお客さん達が食べていたのは何だったのだろう。空席があったので今は座れないのと聞くと、答えない。店主なのか責任者なのか彼はフランス語しか使いたくないみたい。フランス語ででも説明してくれればいいのにと思う。気の毒に思ったのか女の子が名刺をくれて「もう一度2時に来てね」と英語で言ってくれた。笑って
oui と答えたが感じ悪いので食べる気持ちが無くなってしまった。

 パレ・ロワイヤルの中庭を抜けてコメディーフランセーズの売店を覗きルーブル美術館地下のヴァージンメガストアへ。
映画のDVDは日本だとカテゴライズされて置かれているのだけど、何もかもどこの国の映画であろうと一緒にだ〜っと並べてあった。欲しかったハビエルの「ライブフレッシュ」 はすぐ見つかったが ブノワ・マジメル
DVDはなかなかない。近くにいた超guapo の店員さんをつかまえて題名を書いた紙を見せる。S'il vous plait.「Benot Magimel, Le Roi dance, Selon Matthieu」 本場の発音を聞いてうっとり。彼は英語を話さないようだった。でも誠実に応対してくれたのでフランス語ででも「王は踊る」 はシャンゼリゼ店にはあるが、ルーブル店には今は無いこと、「Selon Matthieu」 はDVD になっていないことが分った。かわりに「Deja mort」 とサミュエル・ル・ビアンの出ている「Jet Set」 を買う。

 1階上のカフェでランチを食べ、レ・アル地区の紅茶店マリアージュ・フレールへ。薄暗い店内。店員さんたちは皆生成りの麻のスーツに薄ピンクのタイ。紅茶リストを指差し、これと言うと恭しく大きな紅茶缶を持ってきて蓋を開け香りを嗅がせてくれる。私を担当した人はロバート・ダウニーJr.似だった。
Erosを5缶 と言うと隣にいたお客さんがふっと笑った。何故?その後店員さんお勧め地中海フルーツの香り Boleroを買う。

 そこからホテルまで歩くことにして途中中世の民家がそのまま残っている通りを通る。1階に日本食のお店があった。ホテル付近マレ地区の街並みは16〜17世紀の家がそのままで中世に佇まいを残しているが、宝石、洋服、雑貨等イマドキのお洒落なお店がいっぱい。大抵は若いデザイナーがオーナー兼店員みたいにぽつんと一人いるのでかなり入りにくい。

 でも意を決して前日お店の前を通って気になったOliver Battino に入る。マネキンが着ていた濃いオレンジか濃紺かどっちがいいかしらみたいに聞くと彼は、「そっちが君の色よ」とでも言うように小指を立てながら人差し指で濃紺のドレスを指差した。試着して着て見せると、ここをつまんだほうがいいわとヒップラインに沿って体の線がより出るようにピンを打つ。パリを発つ前日までにお直ししてくれるという。そんなに高くなかったのでトルコブルーのサマードレスも買ってしまった。こっちはお直しなし。あ〜憧れのパリでお洋服がやっと買えた。
 オリビエは名刺をくれ、実は日本のお店が僕の服を扱ってくれることになった。大阪の
Ascenseur で買えるよと言っていた。大阪。彼の服はおとなしくて控えめな色とデザインで私の持っている大阪のイメージじゃない。私のイメージの方が違っているのかな〜。

 ホテルへ戻り荷物を置いて、レセプションに近くでお勧めの牡蠣料理のお店はないか聞く。
地図を書いてもらったのに迷ってバスティーユにある
Bofingerというお店に着くと行列が。並んでいると後ろに胸にボールペン、ダークスーツを着た人が。日本人サラリーマンって感じだったので「出張ですか?」と声をかけると、首をかしげる。よく見るとサモ・ハン・キンポ似、手には中国語のガイドブックが。さらに観察すると左手薬指に指輪。良しと思って今度は英語でおひとりならば一緒に座りませんかと声をかける。彼はOK と言ったので彼の横へ並びお店の人に「ふたりです」 と告げる。ナンパだ〜。

 彼に再度英語でパリには出張ですかと聞くとドイツ、パリ、ロンドンと仕事で、パリには1日しかいないと言う。
Bofingerはガイドブックにお勧めと書いてあったから来たけど君はどうしてこの店に来たのと聞くのでホテルの人に教えてもらったと説明する。 
 彼の名前は
Max。台湾人でコンピュータ関係機器の販売をしているとのこと。10分くらい並んで2階に案内してもらう。最初持ってきてくれたフランス語のメニューを読むのに時間がかかっているとMaxがお店の人に英語のメニューをもらって見せてくれた。  
 
 前菜に貝の盛り合わせ大皿をひとつ、メインに彼は魚を私は海老を注文し食前酒にカクテルを頼んだ。本当はワインを飲みたかったけど彼は興味が無さそうだった。残念。1本飲めないよね。と言っていたが私ひとりでも1本飲めるんだけど・・・。待望の牡蠣はう〜〜ん。他の貝類はおいしいが肝心の牡蠣があまりおいしくない。
Max に感想を聞くと彼もおいしく無さそうに「この牡蠣痩せていますね〜。それにソースが無い」 ジューシーじゃなくソースって言うのかと思い。dissapointed? と尋ねると 「dissapointって何?」 えっ。dissapoint の説明を英語でする。難しい〜。その後もちょっと込み入った話になるとなかなかおたがいの英語が通じない。

 自分達の家族のことや、パリ土産のこと等楽しく話しながら食べていると隣のアメリカ人らしき親子連れの親父のほうから「あのふたりは英語が話せない」と言っているのが聞こえてきた。くやし〜〜。いいじゃん。台湾人と日本人なんだから〜。
 
 メインディッシュが来た。海老を頼んだつもりなのにビーフが来てしまった。英語のメニューも読めなかったのが情けなかったけど、お料理はおいしくって大満足。Maxも自分の頼んだものをおいしいと言っていた。牡蠣はちょいハズレだったけどひとりの味気ない食事じゃなかったので幸せだった。  お会計の時、割り勘にしようねと言うと「僕のほうがたくさん食べたから」と多く払ってくれた。そんじゃあとチップは私が置いて店を出た。彼のホテルはパリ郊外だという。別れ際に彼は「今度北海道へ行くときは連絡します」と名刺をくれた。私は「とっても楽しい時を過ごしましたありがとう」と言って手を振って別れた。満腹だ〜。幸せに寝る。


第八日目 息切れ

 朝から雨。7emArt の超フェミニンなレセプションとお別れ。次の★★★
Hotel Favertへ。
ここは画家のゴヤが住んでいたことがあるお家をホテルに改築したところ。やはり旅の最後はちょっぴりいいホテルに泊まろうと思ったのだ。朝早くついたがお部屋はすでに空いていたらしくキーを渡してくれた。中庭側ではなく通りに面した窓からオペラ・コミックが見える部屋。扉がすべて鏡張り、バスルームだけで8畳近くある。何となくお姫様気分。体調が優れない。持ってきた風邪薬を飲んで行動開始。オペラガルニエへ。

 絢爛豪華な建物を写そうと思ったら大きくてフレームに入らない。それに中を見ようと思ったらチケット売り場に凄い行列。特にオペラに興味があるわけでもないのであきらめる。

  旅の最後2日間はお買い物デーにしてたのでアチコチお店へ行きたかったが、あいにくの雨。デパートで済ませようとギャラリーラファイエットへ。内部のアールヌーボー様式のドームが美しい。まるでデパートじゃないみたい。各階の売り場にある休憩のためのソファはゆったりとしていて無料で飲めるコーヒーが置いてあったり、ワインやシャンパンを飲むちょっとしたバーなんかもあった。

 洋服売り場は各お店がきちんと整列しているわけではないので、一度通ったお店をまた見たいと思っても、目印になるものが無くなかなか思うように見てまわることが出来なかった。店員さんはやはり高飛車。こちらから挨拶しなければ何も言ってこない。でもいったんこれがいいかしらそれともとアドバイスを求めるとはっきりと似合わないものは似合わない、サイズが合ってないとはっきりと言ってくれたので良かった。

 お昼は上階のセルフサービス式のレストランで。レバーサラダとビール、お水をトレーに乗せてレジへ。レジ係の女性、私がうっかりお金を間違えてしまったらレジの金額表示部分を指でトントンとやって大げさに顎をしゃくる。言葉で言えばいいのに通じないと思っているのだ。たしかにフランス語は分らないけど不愉快。正しい金額を出した後、おつりを受け取ろうと日本式に手のひらを彼女に差し出してしまったら今度も何も言わずトレーを指でトントンと大きな音を立ててから「ここだよ!」って感じでおつりをそこに置く。あ〜感じ悪い。体調が悪いせいか気分もいらいらしている。
 
 サラダはボリュームがあってとってもおいしかった。昼間からビールを飲んだのでちょっとくらくらいい気分になる。デパートを出てフォーションへ。ティージェリー、ジャムとワインビネガーを買ったらかなり重くなった。外は雨。それなのに店員は紙バックにそれらを入れる。大丈夫なのかな〜と思いながらホテルまで傘をさして帰る。キーを受け取り部屋の鍵を開けようとしたとき、がっしゃん。紙バックの紐が切れた。ヤッパリ。頭痛薬を飲んで再び外へ。 
 オペラ座界隈の街並みは、都会的で味気ない。マドレーヌ教会を見て、サンドイッチとワインを買って早めにホテルへ帰る。熱は無いが調子が悪い。天気のせいか…。お風呂にお湯をはり温泉の素を入れ入る。汗をいっぱいかいてあがる。晩御飯を食べ早く寝る。


第九日目 アルジェの戦い

 ホテルの朝食はジュースとコーヒー、ジャムとバター。コーンフレークに中途半端に固いパンとクロワッサン。食欲が無いのでクロワッサンだけ食べる。おいしくない。パリ初のまずパン。

 1937年のパリ万博のときに日本会場として建設されたパレ・ド・トキオにある市立近代美術館
Musee d'Art Moderne de la Ville de Parisへ。
何故かは分らないが、無料だった。ここでモジリアーニに初めて会う。扇を手に持った女性の寂しそうな絵だった。描いていて寂しくならなかったのかしらん。ピカソやブラック、マチスの大きな「ダンス」連作を見ることが出来た。ラウル・デュフィの「三十年、或いは薔薇色の人生」は初めて見た絵。見ていると幸せな気分になる色ばかりで構成されている静物画。まさしく、ばら色の人生。ここはとても静かてゆっくりと見られる。
 モダンアート、近代美術は絵画だけじゃなく映像とコラージュが特長ですね〜。面白い作品がいっぱい。ゴダールの撮ったビデオがあって見たけど彼の映画同様に難解。他ビデオ作品を何本か見る。
 
 アンヴァリッド廃兵院へ。ルイ14世が退役軍人の療養所として建てたところ。ナポレオンの棺がある。門の前にはずら〜っと前世紀に使用された大砲が並ぶ。
 インフォメーションの男性はきちんとした感じの人。軍人なのかな。主に見学した軍事博物館には、1914〜1918年までの軍服や武器(大砲、機関銃、ガスマスク等)大昔の甲冑が展示されていた。馬に乗った甲冑姿のマネキンがずら〜〜っと並んであるのは爽快だった。まるでこれからの戦闘を待っているよう。子供用の甲冑まであって、昔は子供という観念がなかったから小さくっても戦ったのだなと思う。生きてその甲冑を脱いだのかしらん。
 近代の軍服は色といい形といいとってもお洒落。着ているマネキンも背が高くっていい男達。武器庫ギャラリーには東洋の間もあり中国や日本の武器(鎧かぶと)も展示されていた。
 デュレンヌの間にはルイ14世から20世紀までの紋章、軍旗があって、これもまたとっても綺麗。エルメスかと思った。私はじ〜っと見つめちゃったけどナポレオンのデスマスクの前にはだれもいなかった。小柄だったときいたけど彼の軍服はそんなに小さくはなかった。170センチはあったんじゃないかな〜。ここでは日本人にひとりも会わなかったのと、見学者に男性が多かった。

 見学を始めてから1時間ちょっとたった頃から中庭に人が溢れてきた。それも、結構年齢が行った方々ばっかり。胸に勲章をつけ手にはフランス国旗を持っている。私が興味深そうに見ていると、その中のひとりが何が行われているか説明してくれたけどフランス語だったので最初に言った「日本人か?」くらいしか分からなかった。そうしているうちにも続々と人が入ってくる。

 何だろうとインフォメーションに行って 「今日はフェスティバルなの?」 と聞くと彼は辞典で言葉を調べ「セレブレイション」、アルジェリア戦争(1954〜1962) 終結記念日でフランス各地から退役軍人達がお祝いに集まって来ているとのこと。彼らは楽しそうで誇らしげだった。建物の外に出るとバスが何台も乗り付けられていた。バスから降り来る人を見ていると、「写真を撮ってもいいよ」みたいなことを言うのでパチリ

 お腹がすいたので前から行きたかったバスティーユにあるムール貝専門のLeon de Bruxelles へ。ふたりで食べたいくらいのムール貝とフレンチフライ、ビールで11ユーロ。ムール貝はガーリックとセロリで蒸してあるみたいだった。薄味で何個も食べられそうだったけど、全部は食べ切れなかった。

 お店を出てバスティーユからマレ地区のビットリオのお店へお洋服を取りに行く。バスティーユ広場で「ここら辺にサド公爵やマリーが捕らえられていたのねん」 と周りを見渡すが、監獄は取り壊されて今はなく、普通の街並みの中にオペラ・バスティーユの近代建築が目立っていた。
 マレ地区のお店はどこも個性的でいいな〜と思いながら歩く。途中、香辛料のお店 Izrael でお塩とスパイス数種を買う。自家製のピクルスやオリーブのサラダがあってとってもおいしそうだった。

 オリビエの店へ行くとお直しがまだ仕上がっていない、あと30分待ってとのこと。仕方なく近所に夕食の買出しへ。
Paulでサンドイッチを買って隣のチーズ屋さんへ。当たり前だけどチーズしか売ってない。それも店中冷蔵庫じゃなく棚の上にパンのようにずら〜っと並べてある。チーズごとに値段と原材料を表す牛なら牛の山羊なら山羊の絵が旗で表示してあった。羊のチーズって言うのもあった。ちっちゃい一口サイズの山羊のチーズ1個をトレーに乗せた後、丸い牛のチーズを取ろうとしたらお店のご主人とお客さんのオジサンがオ〜〜と言う。えっ?と彼らの顔を見るとご主人が牛のチーズを指差しStrong! Heavy! と首を振る。食べられっこ無いみたいな感じの事をいい、No! No!  じゃあ Lightは?と聞いてお勧めのチーズを買う。食べ物に強いと言うのは匂いのことだったらそんなんでもなかったんだけど…。

 オリビエの店へ行き、お洋服を渡してもらう。試着するかと聞かれたけど面倒なのでOK と言って辞退。ホテルへ戻って食事。サンドイッチはヤッパリおいしい。山羊のチーズは匂いがきついと言うイメージを持っていたけど、買ったものは全然癖が無く食べやすかった。それよりお勧めの軽い牛のチーズ、これは匂いがきつくてしつこかった。買おうとして止められたチーズの味を想像してみるが、思い浮かべられない。もしかしたら調理用の生で食べないものだったのかも。

 パリ最後の夜が名残惜しくオペラ・ガルニエまで夜のお散歩。途中マチューの新作
AMEN.を上映している映画館の前に行列が。並びたかった〜。フランソワ・オゾンの新作 8 Femmes も上映していた。8 Femmes は地下鉄に8人の女優達による色々なバージョンのポスターが張ってあった。それぞれの女優が素敵なんだけど、中でもファニー・アルダンが寝ていて上からカトリーヌ・ドヌーブが覗き込んでいるポスターが二人とも胸の辺りが半分くらい見えるドレスを着て本当に綺麗だった。カトリーヌ・ドヌーブっていつまで現役で綺麗なんだろう。

 いろいろお世話になった I さんにお別れのご挨拶をしようと公衆電話から嫌だけど
Hotel Ibisへ電話。「***号室の I さんお願いします」 と言うと何も言わずかなり待たされる。「誰もいない」 と言うので「彼女は帰ってないの、ルームキーはあるの?」 と聞くとI understand your English!Repeat. と言う。は〜あ。むかつく!
 フランス語ではモノを頼む時は 
S'il vous plait を付けるでしょうに、どうしてPlease を付けられないんだよ〜。頭来た。「後からまた電話する」と言って切る。でももう夜も遅い。帰ってなかったのかな〜。
 のんびりとお風呂に入り寝る。


さよならパリ

 朝食を食べホテルとお別れ。ロワシーバス乗り場まで重いトランクをひきずって歩く。途中で蜂蜜屋さん
La mezon du miel でお土産にアカシアの蜂蜜とアーモンドのお菓子を買う。このお店、蜂蜜が30種類くらいあってテイスティングさせてくれる。おいしかった。
 店を出ようとするとお客さんのオジイサンが 
Au revoir ! の後だだ〜〜っとフランス語で何かいってくれた。多分私の大きなトランクを見て「良い旅を」と言ってくれたのだと思う。 Merci, monsieur  au revoir!. madam, au revoir!. と言って店を出る。バスに乗って40分位で空港に。免税店をチラッと見るが欲しい物は無し。店員さんに「ニイハオ」と挨拶される。ほ〜。日本人意外に見られるのは初めて。香港行きだからかな。

 パリ発

 も〜パリを離れるのが哀しくって哀しくって。3人掛けの席、通路側に座る。真ん中の男の子、全然喋らないで下を向いている。中国人かと思っていたら、「すみませ〜ん。これ分りますか?」とゲームのスイッチを聞いてきた。教えてあげると今度は「フランスにはどの位いたんですか?」 私は「パリだけに9泊」と言うと黙ってしまう。あ、自分も聞かれたいんだなと思い「フランスにはどれ位?」と尋ねると待っていましたと話し始めた。

 彼は福岡の大学2年生。第二外国語でフランス語を取ったのがきっかけでフランス語に興味を持ち、パリで3週間のホームステイ後、ノルマンディ地方を回ってきたとのこと。フランスは初めての外国。旅券の手配、ステイ先など全部自分で調べて大変だったとのこと。
 月曜日から金曜日学校は3時まで、その後日本人が経営しているカフェで話し相手を探しているおばあちゃんとフランス語会話するのが日課だったそう。パリに3週間いたけど名所はほとんど見てない。エッフェル塔くらい。嫌なことが結構あって途中で帰りたくなったこと等洪水の様に話てくれた。フランスでは言葉はもちろんのこと生活習慣に慣れるのに大変だったとのこと。
 「嫌なことはありませんでしたか?」と聞いてくるので「あったけど、イタリアやスペインに比べたら無い方。パリは道に迷っていたら必ず誰か声をかけてくれるし、男の人は重いものは持ってくれるし。」と言うと「いいなぁ〜。ボク、重いもの持ってても誰も持ってくれなかった〜」
???

 ボクちゃんは面白い子で私が半年くらいスペイン語を習っていると話すと、似ているんでしょうかと数字を聞いてきた。
uno, dos, tres ウノ、ドス、トレス」
「アン、ドウ、トロワ 似てますね〜。」 
??? 
「80って何って言います?80って単語はあるんですか」
「うん。Ochenta 
オチェンタ」
「いいですね〜。フランス語は80は 4×20って言うんです。それで99は 4×20+10+9なんです。」
「どうして20が出てくるの?」
「わかりません。」
「じゃあ100まで数えるの大変ね〜」
「はい」

 しばらくして「スペイン語って発音はどうです?難しいんですか?フランス語はスッゴク難しくって最初の音と最後の音ははっきりしないんです。それに
 r はゴッとかって発音するんです。フランス人のユーロって発音聞きました?ユーロって聞こえないんです。」
「あ〜そう言えば
BOLEROって紅茶を買った時ボレゴって聞こえたかもしれない。

 「お店で物買ったら渡してくれる時、ホラって感じで何か言うんだけど、それがワッリャとかワッラ〜みたいな感じなんだけど何て言葉?」
ボクちゃんバックから辞典を出して調べてくれる。「たぶんこれです。
Voila. ヴワラ じゃないですか〜。」
「う〜ん、でも
 V の発音は全然聞こえなかった。やっぱりフランス語って難しい〜。」

 食事の時間になってメニューにあったチャイニーズを頼んだけど無くなってて残念。
機内食は以前乗った時より品数が少なくなったと思う。隣のボクをちらっと見るとすっごい犬喰い。体をグッと前かがみにして食器と口の間が10センチも離れてない。犬と違うのは舌を出さないのとフォークを使っていることだけ。うわ〜顔もいいし結構イケテル子と思ってたけど、ちょっとな〜。パリの
madam に食べ方を注意されなかったのかしらん。

 機内映画 
Domestic Disturbance(ドメスティックフィアー) はヴィンス・ヴォーンとジョン・トラヴォルタ、どちらが悪者かは一目瞭然。善良トラちゃんの取る行動がいちいち悪い方向へ。英語がそんなに分んなくっても見てて、あ〜あど〜してそういうことするかなって思うくらいトラちゃんは変。スティーブ・ブーシェミもチラッと出てくる、と言うかヴィンスにすぐ殺されちゃう役。

 映画を見た後ぐっすりと寝るとすぐ朝食。ボクちゃんはまた犬喰い。「お土産いっぱい買ったんですか?スーツケース何グラムでした?ボク、ワインいっぱい買ってかなり重かったんです。制限を越えてたんですが、お金取られなくって。」
「私はあまり物買わなかったから。アバウトなんだ〜。ラテン系だから。」
「ラテン?フランス人って、ラテン系なんですか?」 ???? 「はい、多分。」

 彼は香港でのトランジットが8時間あると言う。パリ行きの時は、調べ物をしたりいろいろなことをしていたら8時間経ったけど、ひとりだったので結構辛かった。香港の街は見たいけど、空港から出たら税金を払わなくてはいけないし、中心部に行くのに1時間位かかるらしいから悩んでいた。

 思い切って出ればいいのにと思う。自分が10年前やはり香港経由でパリからスペインへ入った時香港でトランジットが8時間あってお金を節約する為ず〜っと空港内にいたのを思い出した。空港で色々なアジア人を見ているだけで面白かった。黄色人種と言っても微妙に肌の色が違う。
 長椅子に座っていたら怪しげな人に隣に座られた。空いているところは他にいっぱいあるのに。人相が悪く、背が低く着ているものはぼろぼろ。彼の指が親指と中指以外は第一関節からない。両手だ。私と友人は無言で同時にすっと席を立ち歩き出した。そこでボールペンを椅子の下に落としたことが分った。恐ろしくって引き返したくなかったが、新しいボールペンを買うお金がもったいなくって私ひとり引き返し拾った。
 友人によるとあの時の私はかなり腰が引けていたらしい。掴んだと思ったら何回も落としてなかなか拾えなかったのはそのせい。空港内は楽しいけど、あの時はひとりじゃなかったし…。

色々話しているうちに香港到着。ボクちゃんともお別れ。来た時と同じように長い距離を歩いて札幌行きの発着ロビーへ。旅の気持ちとは香港国際空港でお別れ。無事に帰ってこれたと言うことでめでたしめでたし。

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